「コンプリート・ワークス」より

マイケルの創作の様子がわかる箇所がありましたので抜粋します。

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『Thriller』からマイケルのアルバム制作に関わっているレコーディング・エンジニアのマット・フォージャーは、『BAD』から『Dangerous』までのあいだ、水が湧き出るように次々と作品が生まれたと語る。

「マイケルは、溢れるように曲を書いていたよ。彼は『おっと、そろそろアルバムの締め切りだ、急いで曲を書かないと』というよくあるタイプのアーティストじゃない。曲が彼からどんどん出てくる。曲じゃないときは詩だ。でなければ、物語、ショートフィルムのアイデア・・・創作活動が切れ目なく続くんだ。」

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またキーボーディストのブラッド・バクサー氏は、『Dangerous』の制作の時にビル・ボレットル氏に紹介されてマイケルとであったそうですが、マイケルとの音楽的波長が合い20年もの間仕事仲間として一緒に仕事をしてきたそうです。

バクサー氏によると、、

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「私の提案や考えに対して彼はいつも前向きだった。信頼してくれていたよ。音楽家としてのマイケルは天才だったが、彼は自分一人では全部できないこともよくわかっていて、信頼して任せられる人間の必要性を理解していた。曲のどこにどんな音が必要かすべてわかっているときもあれば、わたしがプレイするのを聞いて判断することもあった。」

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こんな感じで話は続いていきますが、アルバム制作というのがたくさんの人の手を借りないとできないものだということがよくわかります。

そのたくさんの人たちをまとめて良い仕事をしてもらうこともマイケルの大事な仕事の一つであったのだと思いました。

マイケルの場合は、バンドではないので、ひとりですべてを総括していかなければならない為、ひとりひとりといかにいい関係性を結ぶかということも大切だったんですね。

クイーンの映画を観たときに創作の様子もよく出てきてましたが、バンドメンバーがそれぞれアイデアを持ち寄って、いい音楽を作り上げていく様子がよくわかりました。それをマイケルはアルバムごとにメンバーも多少入れ替えたりしながらやるわけですから、大変な作業だったのではないかなと思います。

曲を作ることも重要な仕事だと思いますが、それを彩る様々な音についてのアイデアはひとりではなかなか出来ることではないと思いますし、いろんな人のアイデアがあって、また一段と高いところへと音楽を飛躍させていくが出来るとマイケルはよく知っていたんですね。

なにせ小さいときから、この業界で様々な人や音楽作りを見てきたのだし、いつかは自分ですべてを取り仕切ってやっていこうと思ってみていたんでしょうからね。。

 

この章では特にマイケルがアルバムの創作現場でお互いをリスペクトしあえる仲間と出会い、尊重して曲を完成させていった様子がよくわかりました。

人間的な大きさのいる作業だったんだろうと思います。唯我独尊で作れることではないのだなと改めて思いました。ひとりの天才がいるだけでは出来ないことだと思います。アルバム制作はマイケルの柔軟性のある性格や愛ある態度で人に接する特性が非常にいい方向に生かされていき、またその性質をよりよいものへと練り上げていくことになった作業だったのかなとか思ったりしました。

何事も人間関係が良くないといい方向へは進まないように思ってるのですが、ここでの話はそれを裏付けるのではないかなと思ったりしながら読みました。

 

まだまだいっぱいエピソードはあるのですが、今日はこのへんで。

わりと抜粋が大変なんで、、ゆっくりやりますね~。。

ま、勝手にやっとるんですが、、(笑)

お読みくださり、ありがとうございました!

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