先日の雑記~美大生だったときのこと~からの続きです。
京都でキャンバスを立てて風景画を描いているといろんな出会いがあったというお話をします。
嵯峨美術短期大学(わたしが通ってた頃はまだ短大でした。今は四年制大学もあります。)は、桂川を臨む嵐山にありました。
わたしが下宿していたところは、大覚寺(嵯峨美の設置者です)が近くにあり、大沢の池や広沢の池、また嵯峨野の竹林などがわりとすぐ近くにあるという凄くいい環境でした。
当時は、その環境がどんなに素晴らしかったか、さほど思わずに何気なく近所をよく散策しては友人とのおしゃべりを楽しんだり、油絵を描きに行ったりしてました。
ある日、1年生だったか2年生の頃だったか忘れましたが、広沢の池のあたりの田園風景を描いていると、黒い大きな車がザザッと止まり、なんだか威厳のある感じの紳士が車から降りてきました。
な、なんだろう、、と不安に思っていると、やおらわたしの風景画を見て、(学生さんかと聞かれたような気もしますが、)絵について指導をしてくれたんです。
その時、水平線の位置について、もう少し上げてもいいかもと、言われたように思います。
空と田園だけの絵だったのですが。
全体的には、いい感じと言って頂けたようにも思いますが、水平線の位置だけが気になったような感じでした(確か、、)
で、すぐまた車に乗って立ち去られましたが、わたしは誰か全くわからないままで、あっけにとられておりました。
後に、わりと最近のことなんですが、日曜美術館でそのお顔を拝見したんです。
おそらく、その時わたしを指導してくれた方は、上村淳之先生だと思います。
今でもはっきりとそのお顔と場面は覚えていますので。。
当時、もしかして有名な先生かも、とは思ったんですが、全くわからないまま、数十年が経ちました。
確か、上村淳之先生のお父様の上村松篁先生は、嵯峨美の日本画の先生だったと思います。
わたしは洋画だったので、お見かけしたことはありませんが。
もしかすると、上村淳之先生も嵯峨美と関わりがあったのかもしれないですね。今思うと。。
その場所では、なぜか若い写真家さんとも知り合いになったりして、写真を撮ってもらったりした思い出もあります。
本当にのどかな田園風景が広がってる場所なので、芸術家もウロウロしてるということでしょうかね。
広沢の池周辺は保存地区らしいので、きっと今でも同じ風景が広がっていることでしょう。
またいつか訪ねてみたいです。
下宿もその近くにありましたが、今はさすがにそこはないかもしれないですね。
そうそう、その風景画ですが、結局なぜか未完のままにしてしまいました。実家にあると思いますが。
その未完の風景画を見てくれた嵯峨美の先生には、上手いのになぜもっと描かへんかな~!と言われました。。
たぶん、、受験での失敗がどこか心に引っかかっていて、少しばかり絶望してたところがありましたので、すさんだ気持ちをまだ抱えていたんだと思います。
でも、褒めてくれたことはしっかり覚えて、今は大変感謝しています。
今、その先生に、描いてますよ~!と伝えたいですね(^^)
では、このへんで。
なんだか思い出話って、ちょっと照れくさいですね。
読んでくださって、ありがとうございます!