Twitterでふと思いついたことをつぶやいたりするのですが。。
「絵描きは、ただただ美しいと思うものを描くというのでいいのではないかと、、ときどき思うのだが。。」とツイートしたのですが、それからなんだか凄く考えてしましました。
人それぞれの考えで描けばいいと思うので、わたし自身のこととしてツイートしたのですが、それは伝わりにくいかと思って追加でまたツイートしました。
「それぞれの価値観に基づいて好きなものを描くっていうことかな。。テーマに沿って描きたい人もいれば、、ただ気になったものを描く人もいると思う。それぞれでいいと思ってる。いいとか悪いとかないんだと思うから。」
そのあと、僕もそう思いますよ、という優しいコメントが返ってきてうれしかったのですが。。
結局、そこからもず~と考えてしまいました。
わたし自身のことで言えば、美しいものが描きたいという欲求が強いのでそう思うものだけをひたすら描いているわけです。
でも、ときどきいろんな画家の方のコメントやインタビューを拝見してるといろんな考え方ががあって、、わたしの考え方ではいけないのかなと思うこともしばしばあったりして、そのたびに自分に言い聞かせるように、、確認するかのように冒頭のツイートのような気持ちになって。。
シンプルに考えないと、、ピカソ以降続いている新しい表現が必要だという声におしつぶされそうになるんです。。
ほんとに自分のしていることが無意味に思えてきて、、また描けなくなりそうで怖いんですよね。
真剣に考えれば考えるほど、迷宮に入るんです。。
話は少し飛びますが。。
父には、マイケルを描いていることをとがめられました。
それは、マイケルの生前のスキャンダルにまつわる話を気にして、わたし自身に降りかかるかもしれないことを心配してのことだったみたいですが、言われた当時はわからなくて、、ただただ悲しかったのです。
シンプルに描きたい欲求に従った結果、マイケルを描いているのですが、一番認めてほしかった人に伝わらないことが辛かったんだと思います。
父とのことはかなり整理できてるので、もう落ち着いて考えることができますが、絵画についてのいろんな捉え方を知るにつけ、、自分の原点を忘れたくないと思っています。それは全く自分自身だけの思いなんです。
なので、、画家はそれぞれの意味深い理由があって創作していると思いますので、どんな表現も否定したくありません。
自分の好みでない作品にも遭遇する場合があっても否定はしたくないです。
見るか見ないかは決められますから。
それで、今朝はこんなツイートをしました。
「絵画によってあらゆる感情を表現することは意味深いと思います。 それを描くときや見たときに巻き起こる感情がつらいこともあると思うけど、でもそれを表現することが重要だと感じるなら表現するといいと思います。 見る方はそれを見るかどうかは決められるのだから。」
わたしの好みとしてはつらい感情が巻き起こるような絵は見るのは苦しいので積極的には見ませんが、意味のある絵だと感じることはありますし、、素晴らしい作品も多いと思っています。
わたしにはおそらく描けないですが。。
ほんとにいろんなタイプの画家がいる中で、、シンプルな感情だけで描いている画家がいてもいいよね~みたいな感じに思っています。
ゆるゆると楽しく描いていこうと思ってます。
ルノワールの「辛いことや苦しいことがあるこの世だから、わたしは美しいものが描きたいのだ」という言葉が、今のわたしには心の支えです。
そして、生前自分の絵を発表することがなかったギュスタブ・モローも大好きだし、、初期はとっても暗い絵を描いていて、ある時から独特の美しい色合いの不思議な世界観を持った絵を描くルドンも大好きです。
他にもたくさんの気になる先輩画家たちの存在があります。灯台の希望の光のように。。
とてもとても及ばないけれど、、目標にしたい大先輩の画家の後ろ姿を胸に今日も描きますね~!
一連の自分のツイートによって、、結局すごく深いところまで降りていって考えることができました。
書き切れない思いをここに残しておきたくなりました。
長文読んでくれてありがとうございます!
また何か迷いや思いがあふれてきたら書き残したいと思います。
もしかすると、、変化があるかもしれないですからね。日々進化したいものです。