長く間が空いてしまいましたが、、また「コンプリート・ワークス」から少し抜粋しつつ、マイケルの音楽活動について書いていきたいと思います。

『History』というアルバムを作ったところからのお話は、児童性的虐待の最初の裁判が起こったころなので、なかなか精神的にしんどくて書けなくて今までのびのびになっていました。

わたしは、この児童性的虐待について、マイケルは全くの無実であると信じています。

そのことをここで詳しくは書くつもりはないのですが、、このアルバムが出来たころの話としてはどうしても触れずにおけないので少し書きます。(辛い人は読み飛ばしてね。)

「コンプリート・ワークス」に書かれている部分を少しですが抜粋しておきます。

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1995年の記事で、メアリー・フィッシャーは問いかけている。

「ふたつの大陪審でマイケルと親しい30名の子どもを含む200名近くの参考人に対する尋問が行われたが、容疑を裏付ける目撃者はただの一人も見つからなかった。」

最終的には、原告本人が証言を拒むことになる(1993年、さらには2005年にも)

「検事は彼(原告本人)を引っ張り出そうとしましたが、本人がそれを拒んだのです。」

マイケルの弁護士、トーマス・メゼロウは語る。

「もしも出てきていたら、彼は、自分が言ったようなことは実際には起きてないということ、自分にあんなことを言わせていた両親とは二度と話したくないということを証言したでしょう。何しろ、彼は自ら裁判所へ赴き、両親からの法的解放を求めていたのですから。」

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~略~

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もちろんマイケルは、生涯を通じて潔白を主張し続けた。

「僕は子どもを傷つけたりしない。誰のことも傷つけたりしないよ。考えたこともない。そんなことする人間じゃないんだ。」

マイケルは、1995年、ダイヤン・ソーヤーのインタビューで語った。

別のインタビューでは、子どもを傷つけるくらいなら「自分の手首を切る」と述べている。

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~抜粋終わり~

 

わたしは、マイケルについてのいろんな本を読みましたが、、西寺郷太さんの本の中で「FBIが十数年に渡ってマイケルの身辺調査をしたが全く何も出てこなかった」との記述もありましたので、マイケルが無実であったと心底信じているんです。

子どもについての犯罪は、必ず証拠が出てくるそうです。それが、全くなかったのですからね。

マイケルの児童性的虐待についての2つの裁判では、いずれも原告の子どもの両親のお金欲しさの裁判であったのだと思っています。

全くのでっち上げだったのだと思います。

今もそんなに変わらないですが、、当時のマスコミの対応も本当に酷かったと思います。証拠もなしに、次々に報道して、無実であったことは、ちゃんと報道していない印象でしたからね。。

わたしは自分が出来る可能な範囲で調べたうえで、、マイケルは本当に「潔白」であったのだと心から信じています。

むしろ、、わたしは子どもたちを魔の手から守っていたのではないかとさえ思っています。

特に子役の子どもたちなどは。。

 

この話は、これで終わりにします。

マイケルファンの方は、わたしと同じ思いだと思っています。

このブログをお読みくださっている方の中には、マイケルファンでない方もいると思いますので、、

もしも、いまだに疑っている人がおられるのでしたら、、ぜひご自分で調べてみてくださいね。

 

さてさて、、つい長くなってしまいましたが、、アルバム制作についての抜粋をば~!

~抜粋~

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『History』は、マイケル・ジャクソンにとって最も私的なアルバムだ。

「Scream」では熱のこもった怒りを、「Childhood」では悲しみに満ちた弱さを見せる。

マイケルは、このアルバムを「音楽による本」だと説明する。

ここで描かれているのは、それまでの数年間、彼の胸の中に会った混乱や葛藤。

このアルバムは、マイケルの日記であり、キャンバスであり、反証だった。

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37歳になっていたマイケルが、音楽業界の移り変わりや文化の流れがデジタル時代へと大きく変わりだした中、ベスト盤と新たな曲を入れた2枚組のアルバムを作ったわけですが、「マイケル本人も『History』は自らのキャリアの中で最も難しいアルバムになると考えていたようです。」

90年代に入って、ニルバーナなどのグランジロック好きの若者たちからすると、80年代ではやったダンス・ポップや人道主義的なアンセムは「わざとらしさ」「派手さ」「楽天主義」と捉えられて、冷たくあしらわれていました。

このあたりの説明は長くなってしまうのですが、マイケルは「いつもタブロイドを騒がしている人」と捉えられてしまって、大変な状況下であったのだと思います。

~抜粋~

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『History』は、”文化的な国外追放”状態の中で作られたアルバムだ。

1995年、世界の大半の場所では絶大な人気を誇っていたマイケルだが、アメリカ本国では、人気の大部分を失っていた。

1993年に児童性的虐待の告発を受けたことにより、彼のイメージは崩壊した。

このセンセーショナルな告発により、メインストリームのポップスターとしてのマイケルの生命は終わったも同然だと考える人もいた。

しかし、低迷の理由はそれだけではなかった。

若者の文化の変化、そして、音楽界の時代精神の変化も影響を及ぼしていた。

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、、と、こんな感じで続いていきますが、、いかにこの時代がマイケルにとってつらい時代だったか、、と思わずにいられず書くのが辛くなっておりました。。

でも!!でも!!

マイケルは立ち上がるんです!

それが、、ほんとに素晴らしいので、、

次回は、いろんな若いアーチストと音楽を作り上げていく話を書いていきたいと思っています。

 

では、ちょっとつらかったので、、『History』の中で、、わたしがもっとも好きな「Smile」を!

マイケルの素敵な笑顔で動画を作ってくれてる方がいるので、ぜひ聴いてください!

ちょっと、、泣いちゃうね。。

長文を読んでくださり、ありがとうございました!

 

 

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