また「コンプリート・ワークス」から抜粋して紹介します。

今日は、「Ghosts」というSFの話です。

マイケルファンにとっては、よくご存知のSFと思います。

素晴らしいダンス!が見れるので!

「コンプリート・ワークス18」でも、チラッと話しましたが、最初は「アダムスファミリー2」の宣伝用に作られたとか。。

39分の長編SFです。

「Thriller]の第二弾という感じもありますよね。

でも、「Thriller」はアメリカの文化的出来事でしたが、このSFは国内少数の映画館上映にとどまり、ビデオも発売されませんでした。。

本当に残念ですよね。。

でも、海外では人気が高く!フランスのカンヌ映画祭では上映され、その後ヨーロッパでは、デラックス・ボックスセットとしては発売されたそうです。(ほしいな。。)

そのことについて、、抜粋しますと。

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今にして思えば、他者と異なるものを恐れて追いやるという大半のアメリカ人の傾向を辛辣に批判したダークな作品がこうした運命をたどったことは皮肉ではあるが当然ともいえるだろう。(ビデオが発売されなかったことについて)

「Ghosts」はエドガー・アラン・ポー、ブラム・ストーカー、小説「フランケンシュタイン」や「オペラ座の怪人」など幅広い題材からヒントを得て制作され、マイケルとホラー作家スディーブン・キングが共同で脚本を手掛けた。

マイケルは、キングに「ゾッとするもの」「世界をショックの中に叩き込むもの」を作りたいと語ったという。

この意外なコンビの話し合いは主に電話で行われた。

「あの日マイケルが話してくれたストーリーの核心は、町に住む住人たちの怒りの終結ということだった」とキングは語っている。

「たいまつを掲げた農民ではなく、町の郊外に住む、古い考えに縛られた人々だ。

彼らは近くの城に住む「変人」に町を出ろと要求する。子どもたちに悪影響を及ぼすというのが彼らの言い分だ。

私はそれを、子どもの頃に両親がロックンロールを良く思ってなかったことと結び付けたんだ。」

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、、とこんな感じで続きます。

そして、このSFは追い出そうとする町長もマイケルが演じるという不思議な構造をしています。

それについても、書かれてるところがあるので、長いですが抜粋しますね。

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「この映画の最も興味深い面は、エキセントリックなヴィンセント・プライス風なマエストロと、保守的で偏狭な町長との二重の関係性だ。この二重という性質は両キャラクターをマイケル・ジャクソンが演じることでより強調される。

映画の中で町長はマエストロに体を乗っ取られて、特殊メイクによってでっぷり太った体でダンスを披露する。

やがてそれは、鏡を持った手が町長の腹を突き破って、怪物と化した自らの姿を見せつけるという非常に重要なシーンへと続くのである。

登場人物の中に潜む二重性はどちらの役もマイケルが演じることで強まり、この映画の複雑さを深めている。

彼らは古典的なホラー映画にありがちな、白黒はっきりしたキャラクターではないのである。」

と、文化評論家のチャド・ヘルダーは述べている。

この映画によって、マイケルがあらゆる意味で観念的・思想的なものを表現する能力を持つアーティストだということが証明された。

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と、ありました。

確かに、この二重性というのが私もとても気になりました。何か一筋縄ではいかない意味があるのだなと思いました。

誰もが町長的なものになるかもしれないという意味合いも含まれてるのかなとか。。

 

この「Ghosts」というSFには「Is It Scary」という曲も入っているんのですが、そこでの解説がまたとても興味深いものがあったので、抜粋しますね。

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「Is It Scary」はゴシック分野に進出したマイケルの頂点と言える作品だ。

自分に向けられた見世物、悪役、変人という世間の目に対するこれほど強いメッセージはなかったのではないか。

以前彼自身が述べたように「Childhood」が彼の最も個人的な曲だとすれば「Is It Scary」はこれとは対照的なそれでいてどこか共通する心情を表している。

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ちょっと抜粋だと長くなるので、要約しますね。

~要約~

マイケルは、「僕はきみが見たがっているものになろう」と歌います。でも曲が進むにつれ、人がマイケルの中に、または彼を通して見たがっているものは彼だけでなくその傍観者なのだとわかってくる。「僕を非難してるのはきみだ。」

この非難とは、マイケルを排除し奇人扱いして認めようとしない行為を指しています。

つまり、マイケルは現代のミンストレル・ショーの芸人というわけです。

以下また抜粋します。

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もちろんミンストレルは自分の好きなように演じるのではなく、人々が望むパフォーマンスをするものだ。

マイケルがそれを拒んだことは、自分に与えられた役割を放棄することを意味していた。

マイケルは、「アメリカのエンターテインメント史、そしてその中で自分が占める位置を常に考えていた。」と、文化評論家のデェイビット・ユアンは述べています。

「彼はアフリカ系アメリカ音楽がアメリカ文化史において、「余興」の位置に追いやられるべきでないという考えを明示していた。

マイケル・ジャクソンがスターダムに上り詰めるまでのエピソードが、アフリカ系アメリカ人のエンターテインメントと見世物の制度的歴史と非常によく似ていることを認識するのは重要だ。」

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、、最後の文章の捉え方がちょっと難しいな。。

マイケルはアメリカの芸能史の中でのアフリカ系アメリカ人の音楽や芸能が「余興」として捉えられてることに対して異議を申し立てていると、、「余興」ではなく、芸術なんだということですよね。

アメリカではアフリカ系アメリカ人の音楽や芸能がそういう捉えられ方をされてるというのは、わたしはあまり知らなくてピンと来なかったのですが。。

でも、ある意味そういう歴史の中で、マイケルがエンタメの世界で成功したエピソード自体は歴史的には同じ構造だということかしらね。。

 

続きがあります。~抜粋~

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世間から「ノーマル」であることを要求されても出来ない、またその気もないという事実は世間の怒りを招き、困惑させ、また魅了する。

ユアンの論理は続く。「マイケル・ジャクソンは明らかにこの時代の変人セレブであり、困惑した人々は彼が自分の「奇矯」を誇示していると考えるのだ。」

言い換えれば、マイケル自らが「変人」であること選んだために世間の反発はより強まっていることになる。

洞察の鋭いマイケルはこの難問を理解して、聴き手にいくつもの質問を投げかける。

「僕はきみを楽しませているかい/それともただ困惑させているだけかい/僕は君が描く獣なのか」(歌詞)

ここで彼が本当に問いかけているのは「きみはぼくを人間と思ってないのかい」

ということだ。

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、、ああ、なんだか辛くなってきました。。

以前P・T・バーナムについても書いていますが、マイケルは彼のこともよく研究していたみたいですよね。

そのバーナムからの見世物小屋的な歴史を踏まえて、マーゴ・ジェファーソンが書いていることがあります。

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マイケル・ジャクソンはこうしたすべての歴史をなぞっているのだ。彼の人種、ジェンダー、セクシュアリティ、年齢はすべて曖昧で簡単には分類できない。だから、多くの人々が「一体何なのだ?」と不思議に思う存在になる。

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もう少し抜粋します。

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マイケルがグロテスクになるのは、偏見に満ちた人々がそれを望んでいるからだ。

世間が彼をそう仕向けたのである。マイケルは、その言葉の持つあらゆる意味においてアメリカの文化の産物なのだ。

「もしきみが僕を怖いというなら僕はそうなってやるし、そうなりたいと願う。」

だが(歌詞の)後半、彼は「仮面」の裏には「傷ついた魂」が隠れていることを我々に思い出させる。

「もしきみが真実や純粋さを見たくてきたのなら/それは僕の中にある/この孤独の中に」(歌詞)

しかし、このパラドックスはパフォーマンスを行うこと、エンターティナーと一人の人間、ペルソナと彼自身の個性という微妙な境界線に立ち続けることでしか表現できない。

マイケルはこの複雑な運命を甘受して、彼の人生のモットーともいえる言葉を宣言するのだ。

「さ、ショーを始めよう!」

大詰めでマイケルはゴーストのコーラスに乗せて自分の怒りを力強く歌い、悪魔祓いをされているように感じることがどれだけ辛いかという心情を吐露する。

「ニューヨーク・タイムズ」紙のニール・ストラウスに言わせれば、

マイケルは「エレファント・マンのように、自分は人間なんだと悲鳴を上げている」のである。

「Is it Scary」はマイケルの作品の中で最も悲痛な、だがパワフルな芸術作品である。

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以上ですが、ずいぶん長くなってしまいました。

書き出すとどれも大切な部分に思えてしまいました。

 

この「Is It Scary」の歌は、SFでもちろん流れますので、ぜひ聴いてくださいね。

そして、長いですが「Ghosts」の完全版が出たので、ぜひ見てくださいね!!

圧巻のダンスは、ホントに必見ですからね!!

 

ネタバレになりますが、、SFの最後の方で、マイケルが砂になってしまい消えてしまうところは、何度見ても切なくなります。

誰にでもわかりやすく作られていますが、本当に奥深い意味を持つ芸術作品だと思います。

最初に見たときは、マイケル自身のことを客観的に捉えていて、凄い表現だなと驚きました。

また、ユーモアを感じる部分もありますし、、めっちゃ凄いダンスを観ているうちにすぐ観終えてしまいますからね。これも何度観たことでしょう~!

マイケルは、やっぱり凄い思想家で芸術家ですね。

美しくすさまじいダンスと音楽にのせて、こんな凄い芸術作品を、今味わえる喜びに包まれます。

感謝ですね。。

 

長文、お読みくださり、ありがとうございました!

 

 

 

 

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